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意識 体験



 

 意識

 意識とは

 交通事故で頭を強く打って、その瞬間から気を失い、気がつくと病院のベッドの上に寝かされているということがある。このばあい、けが人はある時間「意識を失っていた」ということばを使うが、これを裏がえして考えると、わたしたちがふつう、起きているときは「意識のある」状態にあるわけである。この「意識」とはどういうものであろうか。

 意識とはなにか

@ 本人だけが体験するものである


 わたしたちは他人を外から見て、その人が喜んだり悲しんだり、なにかを望んでいることをある程度察することができる。また、その人から直接話を聞けば、心のなかで感じていることを、いっそうはっきり知ることができる。

 しかし、これはあくまでも推察したり聞いたことから判断したにすぎないのであって、現実のその人の心にあるもの自体を直接知ることはできない。つまりその内容は本人のみが本当に知っているのであり、本人だけが直接「体験」していることである。
 
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A 全体としての心のはたらきである

 わたしたちは、ふつう目が覚めているときには、なにかを見たり聞いたり、ものごとを考えたり、また喜んだり悲しんだり、なにかをしようと望んだりしている。このようなそれぞれの心のはたらきは、たがいに切り離されたものではない。

 これらは混然一体となって各瞬間の心のはたらきを形づくっている。このように、「現在の瞬間に体験される精神生活の全体」が、すなわち意識なのである。

 自分自身に対する意識

@ わたしたちは、なにかを見たり考えたりしているときに、それを自分が見たり聞いたりしているという自覚をもっている。

A これは「自己自身に対する意識」ともいうべきもので、正常な意識のはたらきにおいては、これがたもたれている。また、そのように体験している自分自身というもの(主体)と、その対象とが、はっきり分かれているのがふつうである。

 ぼんやりした意識と明敏な意識

@ 「注意」も意識のはたらきの重要な性質の一つである。前述のように、わたしたちは、各瞬間にいろいろな体験を心のなかにもつのであるが、それらは一様に、生き生きと体験されているわけではない。

A あることを考えながら道を歩いていると、親しい人とすれ違っても、じゅうぶんな挨拶もしないで通り過ぎ、あとになって、ハッと気づくことがある。こういう場合には、自分の考えることに注意が集中されていてそのほかのことは、ぼんやりと体験されているにすぎない。

B あるときに意識されている心の世界を意識野ということばで表すとすると、体験のされ方は意識野の中心部と周辺の部分とでは違っている。
 
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C この状態は、芝居の舞台のなかに、ことさら明るく照らし出された中心の部分と、そのまわりのやや暗い部分とがあるということにも、たとえることができる。

⇒ 無意識とは

 




 

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